新たな企画

途中入社して早や27年が経った。当時はパソコンが漸く使われ始めたばかりで、仕事の大半はまだ手書きやワープロが主流、工事部は製図台を使用している時代だった。営業兼不動産担当として入社した最初の仕事は、川崎市中原区での4棟戸建て分譲だった。バブル崩壊の影響が続いており、景気はいまだ良くはなかったが、案外手離れ良く完売出来て安堵したことを覚えている。

その後数年は、主に個人客に対して自宅兼賃貸マンション経営の企画提案を行い受注していった。顧客の長期ローン契約を銀行に融資承認してもらうのも仕事の一環で、そのためには裏技を使ったことも度々、今は時効ということでお許しいただきたい。当時の顧客も現在はほぼローンの完済時期を迎えており、私の役目も無事終了時期が来たと感慨深く思い出している。

私自身も同じように、会社でのエンドロールの時期を迎え、昨秋から自身への新たな企画を考え始めた。初めに思い付いたのは、多くの同輩も考えるように陶芸教室だった。水上勉の「骨壺の話」ではないが、自分の骨壺くらいは自分で作りたいと勇んで教室に通い始めた。初日は私を含めた初心者が6人と継続の生徒が15人ほど、結構な人数に多少驚いた。男性は私ともう一人の初心者、その時点で一抹の不安が心をよぎる。我々二人はお互いの心細さを補うため自然と一緒の行動に。しかし、やっていることは幼稚園児の粘土遊びとさして変わらず、男二人で苦笑いの連続、思わず孫の顔が脳裏にちらつく。そんな情けない男どもに比べて女性たちは勇猛果敢に色々な技法にチャレンジしていく。現代社会の世相が垣間見える気がした。

先生にも聞いてみた。「電動ろくろで壺を作れるようになるにはどのくらいかかりますか?」先生曰く「そうですね~、10年もすればだいぶ上手になりますよ。」冗談じゃあない、そのころには、こっちはもう出来合いの骨壺に納まっているかも知らん。ろくろや電気窯を自前で用意するのにも最低50万円くらいかかるそうだ。思い立ったころの理由のない余裕と意気込みが甚だしく萎えていく。

さて、6週間の教室も最終日、それぞれの作品を電気窯から取り出し品評会が始まる。そこでも主役は女性たち、喧しいほどにお互いを称える言葉が飛び交う。我ら男性二人は自分の作品をじっと手に取り、ささやかな満足感と気恥ずかしさが混ざり合った表情を交わしている。「来春からの教室は申し込みましたか?」「いえ、取り敢えずここまでにしようかと…」「そうですか~、そうですよね。お疲れさまでした。」これが二人が交わした最後の会話だった。

今何をしているか?

新たに始めた詩と短歌づくりに精を出している。何しろ、ボールペンとメモ帳があれば十分だから。

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